第3章 ナンパ師になりセックス中毒のように女を抱く日々
ジゴロパンダの「女にモテないからモテるようになるまで」日記の第3弾!
失恋を重ねて理想とする「女に困らない生活」からはほど遠い日々を過ごすジゴロパンダ。心機一転、「ナンパを極めて女とヤリまくってやる!」という欲望を胸に抱いて札幌に引っ越したのです。
しかし、なかなか上手くいかずに悔しい気持ちを抱いたり、泣いたりしながら路上に立ち続ける。
ナンパ地蔵で苦しむ日々
札幌に引っ越して、とうとうナンパに集中して取り組むようになった。しかし、元々消極的な性格なために女の子に声を掛けることができない地蔵状態から抜け出せずに苦しんでいた。
せっかく、街に出ても女の子に声を掛けることができない日々。これって、ナンパをしてみたことのある人なら気持ちがわかると思うが、
「なんで声すら掛けることができないんだろう」
と自分のことが嫌いになって、非常に落ち込んでいく。
この状態が6ヶ月間は地蔵状態が続いて、悔しい日々を過ごしていたが、なんとか勇気を出して声を掛け、街に出たら1人、2人と少しずつではあるが、声を掛けることができるようになってきました。
ある日、黒髪のストレートでスタイルの良い女性がいるな〜と思い、声を掛けてみたら、反応が良くて、一緒に飲みに行って、カラオケに行ってイチャイチャして、その日にエッチをすることができた。ナンパ用語でいう「即」というやつ。
すごくキレイな明るくて優しい25歳の女性で、ナンパって、こんな素敵な女の子と楽しい思い出を作ることができるんだ!と成功体験が自信になったのを覚えている。
ここからちょくちょく結果も出るようになり、札幌にいる間の1年ほどで30人くらいの女性と親密な関係になり、ナンパにのめり込んでいった。
東京へ本格的なナンパ修行へ旅立つ
そして、1年程経ち、俺の中ではナンパの本場と言えば、「東京」というイメージがあり
「もっと本格的にナンパの勉強をしてみたい!」
「カリスマナンパ師に会ってみたい!」
という憧れがあり、東京に引っ越すことにした。そして、某有名ナンパ塾に入り、ナンパ界ではカリスマと呼ばれる人たちに会って教えてもらったりすることができた。
池袋や渋谷、新宿の東口や歌舞伎町で活動をしていて、いろいろな怖い目にもあったり、面白い出来事にも遭遇した。
この頃はナンパが楽しくて仕方がなく、毎日のように街に繰り出していた。毎日12時間以上ナンパをしていたりもしていたので3度ほど過労で高熱が出たこともあった(笑)
ナンパとセックス中毒な日々
夜の街でナンパをしている男性たちも変わった方が多くて、一緒にナンパをして3P、4P乱交、青姦といった、体験をたくさんした。
ナンパを覚えてからはチンパンジーのようにセックス中毒のように毎日セックスばかりしていた。今までの鬱憤を女性にぶつけていたと思う。モデルやアイドルをやっている可愛い女の子も抱いたし、誰もが「ん?」と思えるようなブサイクなルックスの子を抱いたこともある(笑)
毎日のように異なる女性とエッチをして、1日に多いときは5人くらいの新規の女性と関係を持っていた。性に狂っていた。
東京に行って、7〜8ヶ月で150人前後の女性と肉体関係を持ち、よく性病にならなかったと思う。今思えば不思議だ(笑)
そして、ナンパというもので女性と出会ってセックスを持つまでの関係を覚えたが、その後に女の子と継続的な関係を維持できるかどうかは相手女性の相性に依存していた。
そこで、次なるステップとして女性を意図的に惚れさせることを学びたいと考えるようになり、女性の扱いのプロである「ホスト」という人種に興味を持つようになった。
そして、ここからホストの世界に足を踏み入れることになる。
第3章 ナンパ師になりセックス中毒のように女を抱く日々 ← 今はココ